<おじさん>
今の町に越してきてから、髪は隣町のおじさんの店で切ってもらっている。 おじさんといっても親戚ではなくて、単に中年の男性が一人で やっている美容院というだけなのだが。 <便利> おじさんの店は夜の12時までやっていてとても便利だ。 (始まるのは夜の7時だが。) おじさん一人しかいないので、何につけ 「おつかれさまでしたー」「でしたー」とエコーのように声を 浴びせられることもない。会計のあとで恭しく上着を 後ろから着せ掛けられたりしない。 読みたくない雑誌を薦められることもない。 もくもくと上機嫌で髪を切ってくれる。 (おじさんは、髪を切ることがとても好きなように見える。) 夏には冷たい緑茶を、それ以外の季節にはコーヒーを出してくれる。 それがけっこうおいしい。 <テレビ> おじさんの店には10畳に満たないような狭い店内に40インチのテレビがある。 初めて来たとき、テレビの角度が見にくいので不審に思っていたのだが、 よくよく見るとテレビの角度はおじさんにとって見やすいように 設置されていたのだった。 <ギター> おじさんの趣味はギターである。ある日、ぐるぐる回る円盤のようなヒーターで トリートメントを塗った髪を暖めてもらっていると、後ろからギターの音がした。 振り返るとおじさんがギターを弾いていた。 <修練> おじさんは修練を欠かさない。 ある日店に行くと、おじさんは海外から取り寄せたカラーリングの 教則ビデオを見ていた。髪を切ってもらいながら、みるみるアルミフォイルとクリームに 包まれていく女性の髪を二人で眺めた。 <占い> おじさんの副業は占いだ。 定休日には占い講座を開くほどの本格派らしい。 講座は毎回好評だそうで、内容を聞いてみると 「すごいよー!この間なんていきなりスプーンを曲げちゃったからね!」 と言った。 「それは占いではないのでは」と思ったが口には出せなかった。 <占い2> おじさんの占いの守備範囲は広い。 去年の衆院選が終わった後、おじさんは自民党の悪口を述べた後、 「でも小泉さんは来年で首相はやめるね。占いで分かる」と言った。 私は「それって本人が記者会見でも言ってたしなあ…」と思い、 「では次の首相はだれでしょうか」と聞いてみた。 おじさんは「それはまだ分からない」と真顔で答えた。 <占い3> おじさんの占い対象は自然現象にまで及ぶ。 「占いで、自然災害とかもだいたい分かるんだよ」とおじさんは目を細める。 重ねて「たとえば…東京にはそのうち地震が来るよ」と言った。 「宮本武蔵が生涯負けなかったのは絶対勝てる相手を選んでいたから」という 言い伝えが頭をよぎった。 <繁盛> おじさんの店はけっこう繁盛している。いつ行ってもだいたい人がいるのだ。 おじさん曰く、長く通う人が多いのだという。 納得だが、すでに首筋をつかまれているようでぐらぐらする。 |
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(2006年3月2日) |
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